2017年06月22日

なぜ、外国人は「ドン・キホーテ」に魅了されるのか?

全国各地の「ドン・キホーテ」に、外国人が押し寄せている。大都会はもとより、観光地、地方の店舗にまで、アジアを中心とした外国人の姿が見られる。

「ドン・キホーテ」のどこに魅力を感じているのか。

日本人である私もその楽しさに惹かれ、たびたび訪れてはいる。

何といっても、店内で商品を見ることが楽しい。

笑える商品、驚く商品、感心する商品……変わったもの、面白いものばかりで、ついつい長居をしてしまう。

外国人も私と同じ感動を味わっているのだろうか?

さまざまなメディアで、「ドン・キホーテ」を利用する外国人の感想が伝えられている。それを見ると、日本人よりもっと大きく感動し、狂喜しているとさえ思える。

まず口から出てくる言葉は、「クールなものがいっぱい」。つまり、“イケてる”“カッコいい”商品がたくさん並んでいる、ということ。

外国人の彼らにとっては、日本製品の質の良さは当然として、売り場に並んでいる商品のアイデアやデザインすべてが、“クール”なのである。

そんな商品が所狭しと並ぶ中から、自分の欲しいものを探し出すことを楽しんでいる。

「ドン・キホーテ」は、探し出す楽しさを演出するために、敢えて“ぐちゃぐちゃ感”のある煩雑な陳列をしている。

欧米にはない、アジアンチックな売り場を作っているのである。

そこには、「美容・健康」「雑貨」「家電」「ファッション」「ブランド品」「インテリア・家具」「スポーツ・アウトドア」「ペット」「車・自転車」「玩具」「食品」「コスプレ衣装」まで揃っている。

「ドンキに行けば、何でもある」という情報が、外国人の間に流れているくらいである。

すなわち、外国人が集まって来るのは、口コミが広がっているからだと言うことができる。だが、この口コミは、自然発生的なものではない。

「ドン・キホーテ」が自らの意思で、企てたものである。

海外からの観光客が増えることを見越し、店舗を「外国人対応」に変えていったのである。

・店内には、外国語表記を掲げる。
・アジア人スタッフを増員する。
・外国人を呼ぶための専門プロジェクトチームを作る。
・外国人向けの情報発信をする。
・観光地と連携して、ツアーを組む。
・DUTY FREE SHOPの認可を受ける。
・中国の企業連合が運営するオンライン決済システムを導入する。

こうしたきめ細かな対応策を講じた結果が、いまの賑わいに繋がっているのである。

すべてが巧妙に仕組まれた戦略だったのである。

だが、外国人がその“ワナ”に引っ掛かった、というわけではない。

根本的には、店が楽しいからである。「あそこへ行けば、何かある」という期待感である。知らなかった日本の文化に触れることができる。クール・ジャパンがたくさんある。

そんな感動を味わうために、集まって来るのである。

私も海外に行くと、地元の市場やスーパーマーケットに必ず行くことにしている。その土地の文化を知るには、もっとも適していると思うからである。

それと同じで、外国人が日本の文化を知るためには、「ドン・キホーテ」のような“雑多な”店が最適である。

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2017年06月20日

通販限定の「ポテトチップス」は、なぜ売れているのか?

ネット通販でしか手に入らない「ポテトチップス」をご存知だろうか。

菊水堂というメーカーの『できたてポテトチップ』。自社工場から直接客に発送している。一部店舗で販売はしているものの、基本的には通販のみ。

できたてのポテトチップスが、早ければ次の日には届くので、できたての美味しさが評判となり、常に1ヶ月待ちの状態が続いている。

チップスは、スライスして揚げただけという素朴な見ため。決して、上品さはない。パッケージもデザイン性はなく、簡素。

それでも売れるのだから、「よほど美味しいのか」と誰もが思うだろうが、売れている理由はそれだけではない。

通販でしか手に入らないという、希少性にある。

消費者は、珍しいものを欲しがる。近くで売っていないとなると、なおさら欲しくなる。ぜひ試してみたい、となるものである。

価格としては、145g×3袋×2箱がセットになって、1800円(税込み)+送料(関東近県500円)。

一般的なポテトチップスが1袋60g程度なので、このセットに換算すると、14.5袋分となる。

1800円と送料500円を足した金額を、市販品の量で換算すると、1袋約159円となり、やや高級品だと言える。

だが、通販限定という付加価値が、それほど高いものだとは感じさせず、1ヶ月待ちでも売れ続けているのである。

いまは通販以外には一部の店舗で売っているだけだが、もし流通に乗せて、どこででも買えるようになると、人気は一気に下降するかもしれない。

いつでもどこでも買えるものに、人びとはあまり興味を示さない。

手に入らないものだから欲しくなり、手に入れた時に感動も大きくなる。美味しさも倍増する。希少性があるから、高くても売れるのである。

このまま手を広げずに、地味に製造していく方が、長く生き続けることができる。道を見失わないで欲しい。

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2017年06月18日

百貨店は、“デパ地下&物産展”だけで良い!?

百貨店の売上高は、右肩を下げ続けている。有名ショップのテナント誘致やリニューアルなど、あらゆる手を打ってはいるが、右肩を上げることはできていない。

もはや、「百貨店不要論」を否定し難い状況となっている。百貨店を上から下まで歩いてみればすぐにわかるが、“賑わい”など、まったく感じない。人の集まっているのは、決まった場所のみ。

お客さまに、「百貨店に行く目的は何か?」を問えば、必ず次の答えが返ってくるだろう。

「地下食料品売り場」「物産展会場」「お中元・お歳暮特設会場」。

ほぼ間違いなく、この3つしか答えはない。すなわち、それ以外は必要ない、と思っているのである。実際、百貨店の売り上げを構成する内訳は、この3つの比率が非常に大きい。

老舗百貨店であれば、外商の比率が高くなるが、それも右肩下がりで、今後は期待できない。現状を見る限り、食料品と贈答品しか、売れていないことになる。

百貨店全盛期には、“上等なもの”を求めるのは、すべて百貨店であった。特にファッションに関しては、百貨店で買うことをステータスとさえ思っていたのである。

ところが、ファッションビルが次々と開業し、ブランド直営店がやって来たことで、百貨店に魅力を感じなくなってしまった。ファッションの占める割合が多い百貨店には、大打撃である。

しかし、何も手を打たなかった。その結果が、「百貨店不要論」である。

また、最近の百貨店で気になることがある。以前なら、百貨店に行けば、自分がVIPであるかのような錯覚をしていた。

一歩足を踏み入れると、両サイドで店員が深々と頭を下げ、「いらっしゃいませ」と笑顔で迎えてくれた。中に進んで行くと、売り場からもお辞儀をされ、くすぐったいながらも気持ちの良いものだった。

商品を見ていると、程よい距離感を保ちつつも、必要な時には声を掛けてくれる。しかも、腰は低く、丁寧な言葉遣いで、最上級のもてなしをしてくれた。

ところが、最近の店員は……。ひと言で言うと、“雑”。“おもてなし”を知らない。スーパーの店員と入れ代わっても、気づかないだろう。接客がなっていないのである。

そんな百貨店のどこに魅力があるのか。やはり、不要なのか。

個人的には、「地下食料品売り場」と「物産展」は残して欲しい。百貨店でしか楽しめないものだからである。「お中元・お歳暮」に関しては、いまやネットで簡単に贈ることができるので、徐々に少なくなると予想している。となると、地下と物産展だけで良いことになる。

ならば、建物すべてを「デパ地下」と「イベント会場」にしても良いのではないかとさえ思う。極論かもしれないが、可能性はゼロではない。面白い空間ができると思うが、どうだろう。

そこまで冒険できないならば、「デパ地下」「イベント会場」以外をテナントで埋める、商業ビルとして営業していくしか、生き残る道は無いのではないか。そうなると、もはや百貨店ではなくなるが。

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2017年06月16日

あなたの知らないラジオの世界。映像の無い情報は、創造力を高める!

ラジオを聴いているだろうか?

最近は、聴く人が少なくなっている。テレビのチャンネル数の増加、インターネット、DVDなどによって、映像中心の生活になっている。

映像に慣れてしまうと、ラジオなどの音だけのメディアでは、もの足りなく感じてしまう。

仕事中、運転中、家事中の“ながら聴取”の人が多いだけではないだろうか。

だが、音だけの情報は、創造力を高める。

実際はどうであれ、聴いたことをもとに、自分の過去の情報から組み立て、脳で勝手に映像化して、“面白い”“楽しい”“悲しい”を創り上げているのである。

同じ内容を聴いていても、聴く人によって、すべてオリジナルの情報として捉えられる。

映像があると、その情報はそれ以上でもそれ以下でもなく、固定化されたまま記憶されてしまう。これでは、創造力は育たない。

音だけ聴いて、映像を思い描くようにすれば、脳も活性化されて、創造力も養うことができる。

話は変わるが、ラジオの番組は、世代別の指向を知るには最適なメディアなのである。

朝の早い時間帯は、車で聞く男性。
少し後には、家事をしながら聞く主婦。
昼間は、のんびり音楽を聞く高齢者。
夕方からは、食事の支度をする主婦。
深夜になると、トラック運転手が聴いている。

それぞれの時間帯にラジオを聴いてみると、その聴取者世代で流行っていることや、悩み事などを知ることができる。

私も昔はよく深夜ラジオを聴いていた。しかも、3時頃から。長距離トラックの運転手が聴く番組である。

自分とはまったく違う世界のことがわかり、面白かった。トラック運転手が身近な存在に感じた。

いまでも、たまにラジオを聴くと、新鮮で刺激を受ける。音楽を聴くのも良いが、たまにはラジオを聴いてみるのも良いのではないか。

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2017年06月14日

高齢者が小さなスーパーを利用する理由。

イオン系&セブン系のショッピングセンターやスーパーが、“こんなところにまで?”と思うような田舎をも含め、全国に進出している。

これにより、その地域でしか見かけなかった、地元のローカルスーパーが次々と潰れている。

若い世代は、都会でしか手に入らなかった商品が買えるようになり、その便利さに喜んでいる。だが、地元のスーパーがなくなり、困っている人たちもたくさんいる。

高齢者である。

大手流通の出店する店は、郊外型が多く、なおかつ巨大である。車がなければ、行けない場所にあることも多い。高齢者は車に乗れなくなっていることもある。乗ったとしても、長距離の運転は危険。

家が近くにあったとしても、店の巨大さ故に、利用しづらい部分も多い。

まずは、
・歩く時間・距離が長くなる。駐車場から店舗への距離も長い。

・店の中も広いので、歩きまわることに疲れる。

・欲しいモノが、なかなか見つからない。

・大きな店は天井が高く、腰の曲がった高齢者は、上に掲示された案内板が見えない。

・店が広いと、店員に聞こうとしても、近くにはいない。

・客が多くて、シルバーカーを押しながらでは歩きにくい。

・品数が多過ぎて、「どこに何があるのか」を覚えられない。

このように、若い人たちにはメリットが多い巨大スーパーでも、高齢者にとっては、不便な店になってしまうのである。

高齢者が求めているのは、「家の近く」にあって、「ほどほどの広さ」で、「すぐに店員に聞くことができる」店である。

慣れ親しんだ、地元のスーパーがなくなるのは、非常に困ることなのである。

欲しいモノがあれば、すぐに買いに行ける店。“いつものアレ”が、“あそこにある”店が、高齢者にとっては便利な店なのである。

地元の小さなローカルスーパーは、守らなければならない。新しいものばかりが、受け入れられるとは限らない。

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2017年06月12日

仏の世界も金次第!金で“地位”が買える、「戒名」の不思議。

人が亡くなると、仏の弟子となり、新たな名前を授けられる。それが「戒名」。

そう思われているのだが、本来は違う。生前に仏門に入り、戒律を守り、仏道修行を行うと誓った出家者にだけ授けられる名前が「戒名」である。

いつの頃からか、故人専用の名前として、つけられるようになった。

そして、「戒名」には、なぜか“位(くらい)”が存在する。

仏の世界では、生前の身分の上下や精進・報恩の多少に関係なく、すべての人が平等である、と説いている。

なのに、“位”が存在するのはなぜか。

仏教界曰く、「生前、菩提寺との関係が深く、大きく貢献した者には高い位がつけられる」。

つまり、信仰心が強く、仏を敬い、尽くしてきた者は、亡くなってから高い地位につくことができる、ということか。それなら、納得もできる。

だが、それは大昔の話。いまは、「お布施」という名の戒名料があり、しかも相場が決まっている。

それだけではなく、つける“位”によって価格は上がる。

【信士(しんし)・信女(しんにょ)】:30〜50万円。

【居士(こじ)・大姉(だいし)/院信士(いんしんし)・院信女(いんしんにょ)】:50〜80万円。

【院居士(いんこじ)・院大姉(いんだいし)】:100万円〜。

“位”は僧侶が選ぶのではなく、生前の本人や親族によって選ばれ、高い金を出せば、高い“位”が買えるのである。

例え悪どい商売で儲けた金であっても、仏教界は高い“位”を用意してくれる。まさに、「地獄の沙汰も金次第」。

こんなことは、許されるべきではない。

仏の世界の平等は、“戒名ビジネス”によって、いとも簡単に崩壊したのである。

そんな不透明な世界に疑問を持つ僧侶も現れ始めている。お布施があまりにも高額なことに異を唱え、安く授ける“サービス”を始めた僧侶もいる。曖昧な金額のお布施を定額制にした葬儀社もある。

多くの関係者が、新しい道を切り拓こうとしている。

それでもまだ、戒名には“位”が残っている。この根本を改めなければ、仏教そのものが廃れてしまうのではないか。

posted by 佐藤きよあき at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティグ裏読み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月10日

なぜ、「ケンタッキー」にはライバルがいないのか?

牛丼戦争、ハンバーガー戦争をはじめ、ドーナツやピザ、セルフうどんでも、数多くのライバルがしのぎを削っている。

飲食業界は、まさに戦国時代。熾烈な戦いは、永遠に続くがごとくである。

そんな中、涼しい顔で、周囲の争いを静観している巨大チェーン店がある。

「ケンタッキーフライドチキン(KFC)」である。

価格が高いにも関わらず、熱狂的なファンを獲得し、高度安定飛行を続けている。

価格が高い故に、無理して集客する必要もない。すなわち、「高収益体質」を確立しているのである。薄利多売で集客しなければならない「マクドナルド」とは、大きく違う点である。

では、なぜKFCはこうした安定経営ができるのか。

答えはひとつ。“ライバルがいない”。

ライバルの存在を見聞きしたことがあるだろうか。フライドチキン=KFCではないか。

そこで私は、なぜ市場を独占し続けることができるのかを考察してみた。

・KFCの味を超えることができないのか。
・KFCほどの儲かるシステムが構築できないのか。
・太刀打ちできないほど巨大な存在に、尻込みしているのか。

どうやら、セオリー通りの理由ではなさそうだ。

そこで、仮説を立ててみる。

「鶏唐揚げの存在が、フライドチキン市場の規模を固定化しているのではないか」。

“揚げた鶏”を人びとは好むので、食べたい時は、フライドチキンもしくは唐揚げを買う。KFCの店が近くになければ、当然唐揚げを日常的に消費するようになる。

KFCの店があったとしても高いので、特別な日にしか利用せず、普段は唐揚げを食べている。唐揚げなら、スーパーやコンビニなど、どこででも手に入る。価格も安い。最近は、唐揚げ専門店も増えている。

となると、買いやすい唐揚げの方が身近な存在となり、日常的に食べるようになる。日頃から食べていれば、それが好みの味となり、「揚げた鶏=唐揚げ」となってしまう。

フライドチキンは、あくまで“たまに食べるもの”という存在となる。つまり、“慣れ親しんだ味”が、その土地の人にとっては大きな存在となるのである。

もちろん、KFCファンによって、フライドチキンは生き残るだろうが、市場規模としては固定されてしまう。

それだけ、唐揚げ市場が大きく、強力なのである。市場規模が固定されていては、KFCのライバルが進出する余地はない。

私が出したこの結論を検証できる事例がある。

グアテマラ共和国に、KFCが進出した時の話。

この国には、元々フライドチキンを食べる習慣があり、屋台やレストランのメニューにもなっている。地元発祥のチェーン店もあり、国民食となっていた。

そんな市場を見て、KFCはチャンスありと判断したのだが、なぜか早々に撤退することとなる。

その理由は、味である。独特の味つけがあり、その味でなければ、地元民は食べなかったのである。

つまりは、慣れ親しんだ味を提供する、地元のフライドチキン市場が強過ぎ、KFCの入る余地はなかったのである。

食べ慣れた味から脱するのは、勇気のいることである。また、その味を手放したいとも思っていない。だから、KFCは勝てなかったのである。

この例と同じように、日本人は唐揚げが好きで、それを手放してまで、フライドチキンを食べたいとは思わないのである。

グアテマラと少しだけ違うのは、唐揚げとフライドチキンの味の方向性である。方向性が違うので、たまにはフライドチキンを食べたい、となる。

だが、グアテマラでは方向性が同じだったので、KFCが消え去ることとなったのである。

日本では固定された市場規模で生き残り、グアテマラでは敗北したが、どちらも慣れ親しんだ味には勝てなかった、ということである。

こうした理由で、日本のKFCにはライバルが存在しないのではないかと推察している。

……ところが。

2014年7月、渋谷に韓国のフライドチキンチェーン店「BBQ」の直営店がオープンした。世界57ヵ国・地域に約3750店を展開している。

このニュースに驚きはしたが、定着するかどうかは疑問に思っていた。私の仮説が正しければ、定着することはないだろうと踏んでいた。

また、いまの社会情勢から考えると、中国や韓国の店を日本人が積極的に利用するとは思えない。あれほどブームだった、東京・新大久保の韓国レストラン街は、いまや閑古鳥が鳴いているのである。

このタイミングで日本に進出するのは、無謀ではないのか。KFCのライバルにはなれないだろう。

……と、進出当時は予想していたが、その通りとなり、日本法人は2016年破産手続きを取り、事業停止となった。

日本のフライドチキン市場は、たった1社である「ケンタッキー」の独占状態。市場規模が拡大しない限り、ライバルの入り込む余地はない。

posted by 佐藤きよあき at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティグ裏読み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

人はなぜ、“食べ物”の行列に並ぶのか?

人は、なぜ行列に並ぶのか。その先にある“期待”を実感・体感したいからである。

それは、どんな“期待”なのだろうか。

ふた昔前なら、ゲームソフトやたまごっち。ひと昔前なら、商業施設やハリーポッター。

では、いまの“期待”はどんなものなのか。

テレビやネットから聞こえてくるのは、アイドルのコンサートや握手会。世界遺産登録直後の観光地。そして、もっとも騒がれるのは、“グルメ”である。

食のネタは視聴率が稼げるので、どのテレビ局でも度々登場する。ネットにおいても同じこと。アクセス数が安定して稼げるのである。それほど、人びとは食の情報に敏感なのである。

“行列”と聞くと、知らずにはおれぬ。行列の先に、どんな美味しいものがあるのかを知りたい。その味を体験したくなり、行列に並んでしまう。

驚くのは、遠くからでも、わざわざ足を運ぶ人が多いことである。“ついで”の訪問ではなく、その店を目指してやって来るのである。たったひとつの料理を食べるためだけに、である。

なぜ、そこまでするのか。

日本ブームでやって来る外国人客は別として、日本人は“観光”に飽きているのかもしれない。日本国内は、どこも同じような風景に見える。

従来の観光は、“見てまわる”ことが多かったが、テレビやネットで映像を見ているため、その場所に行っても感動が薄いのではないか。

それに比べ、グルメは見ているだけでは実感できない。食べないことには、感想を言うこともできない。加えて、いまの人びとは物欲がほとんどないため、食べることがもっとも興味深く、関心を持ち続けていられる。

食を追求することが、一番楽しい時間なのかもしれない。なので、遠くまで出掛けて行って、行列に並ぶのである。

そして、現代人にもっとも大切なことは、自身の体験をSNSにアップすることである。そのためには、現地に行って行列に並び、料理の写真を撮って、感想を書かなければならない。こうした行為が、趣味のようになっている。

つまり、多くの日本国民がもっとも興味を抱き、かつ行動的になれるものが、“グルメ”なのである。

全国各地で観光客誘致に苦慮しているが、観光資源があまりないのなら、“ご当地グルメ”を掘り起こすか、新しいグルメを生み出せば良いのである。

取り組んでいる地域もあるが、カチカチ頭の地元民だけでは、簡単なことではない。新しい頭脳に協力を求めてみるのも良い。

突拍子もない発想をする人材。たとえば、小学生に考えてもらっても良い。高校生や大学生を活用している例もあるが、その年齢ぐらいになると、常識に囚われることがあるので、あまり面白い発想は出てこない。

注意すべきは、アイデア倒れにならないよう、味の追求も徹底しなければならないこと。注目されやすいグルメは、常識を少し超えたあたりに存在する。弾け過ぎず、大人しくなり過ぎず。

重要なのは、本気でやること。中途半端な取り組みが実に多い。

posted by 佐藤きよあき at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティグ裏読み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする